ゾルピデム(商標マイスリー)を使用中の皆さまへ・インターネット記事(認知症)に関する情報提供
2025年2月末に「ゾルピデム(商品名:マイスリー)は脳にゴミを溜めて認知症を招く恐ろしい睡眠薬」「医療・製薬業界が激震」といった見出しのオンライン記事がDIAMOND onlineやYahoo!ニュースに掲載され、youtube等で拡散され世間を騒がせています。
記事は2025年1月に世界的な医学誌「CELL」に掲載された論文の著者である米ロチェスター大学医療センターのマイケン・ネダーガード教授へのインタビューをもとに構成されています。
私も処方させていただいている薬剤のため、その見出しに驚き、記事内容の元となっている医学論文を確認いたしました。論文はオンライン記事の見出しが匂わせる「ゾルピデムは認知症を生み出す悪魔の薬」という内容ではなく、まず安心いたしました。また、おそらく多くの睡眠専門医は「激震」しない内容でした。
現在マイスリーを使用されている方、今回のネット記事の見出しにより私と同様に不安になられた方へ元の論文の情報をお伝えできればと思い、以下に長文となりますが記載いたします。最後に私見になりますが、現実的な例を挙げて不眠症に対するゾルピデム(マイスリー)の使用と認知症リスクについて考察いたしましたのでよろしければご覧ください。
(文責:「眠りと咳のクリニック虎ノ門」院長 栁原万里子)
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(学術誌「CELL」に掲載された元論文のアブストラクト(要約)を和訳(黒太字)し、解説(水色文字)を加えました。)
Natalie L, Maiken Nedergaard ,etc. Norepinephrine-mediated slow vasomotion drives glymphatic clearance during sleep, CELL ,Volume 188, p606-622.e17 February 06, 2025, Published online January 8, 2025
(様々な手法を用いてマウスの脳内の老廃物の排出システムの解明を試みた研究報告)
CELL SCIENCE DIRECT ← 論文のアブストラクト原文はこちらから
覚醒中は脳の老廃物が産生され、脳髄液中に溜まる。この老廃物のなかにはアルツハイマー型認知症の原因となるアミロイドβも含まれている。この脳髄液中の老廃物は、睡眠、とくにノンレム睡眠中に「グリンパティックシステム」によって脳外へ排出される。
● 十分な睡眠をとれていないと老廃物の排出が追い付かず、脳髄液中に老廃物が蓄積される。
● 同じ睡眠時間をとれるのであれば「グリンパティックシステム(脳脊髄液を入れ替える、脳の老廃物排出ポンプのようなもの)」の働きが良いほうが脳髄液中の老廃物は蓄積されにくい。
このノンレム睡眠中の「グリンパティックシステム」のポンプの働きは、脳の青斑核から放出されるノルエピネフリン量の規則的な変動の影響を受けている。ノンレム睡眠中のノルエピネフリン放出の規則性(リズミカルな変動・周波数)は脳血管運動を介して脳内への新しい脳髄液の入れ替えを促進し、その変化は「グリンパティックシステム」の機能を促進する。
● ノンレム睡眠中の脳内のノルエピネフリン放出の規則性が保たれると「グリンパティックシステム」が上手く働き、脳内からの老廃物の排出が良くなる。
一方で睡眠薬であるゾルピデムはノルエピネフリンのリズミカルな変動を抑制する。これにより脳血管運動が抑制され脳脊髄液の脳内への入れ替えが上手くいかなくなり「グリンパティックシステム」の機能が低下する。
● ゾルピデムを使用するとノンレム睡眠中のノルエピネフリンの放出の規則性が抑えられ、脳血管運動が減少し、「グリンパティックシステム」の働きが低下する。=老廃物の排出の効率が落ちる。(同教授へのインタビューの別の記事ではゾルピデムにより30%程度、グリンパティックシステムの働きが低下するとの表現がありました。)
【この論文の主旨】ノンレム睡眠中のノルエピネフリンの放出の周波数(リズミカルな変動)は(脳血管運動の促進を介して)「グリンパティックシステム」の機能を決定する重要な因子である。
● ゾルピデム以外の同系統のほかの睡眠薬(ベンゾジアゼピン系睡眠薬・非ベンゾジアゼピン系睡眠薬)や別系統の睡眠薬(オレキシン受容体拮抗薬やメラトニン受容体作動薬)が「グリンパティックシステム」に及ぼす影響ついてはまだ検討されていない。
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以降は論文の内容ではなく、「眠りと咳のクリニック虎ノ門」柳原の私見と考察です。
睡眠時間が短いと覚醒中に溜まった脳内の老廃物の排出が追い付かず、長年をかけて日々蓄積されつづけた結果、認知症のリスクが上昇することは以前から知られていました。今回のマイケン・ネダーガード教授の学術誌CELLでの発表は、その老廃物の排出システムのメカニズムを解き明かした価値のあるものです。
以下に現実的な例を挙げながら、論文内容を踏まえて考察をしてみます。
【徹夜の場合】脳の老廃物を排出する「グリンパティックシステム」が機能する時間がない=眠るまで老廃物は溜まりっぱなしになる。
【睡眠不足の場合】覚醒中に溜まった老廃物に対して「睡眠=老廃物の排出時間」が足りないと脳の老廃物の排出が追い付かない。長期的に睡眠不足が続くと日々脳の老廃物が蓄積され続けて、アルツハイマー型認知症の発症リスクが高まる。
※この場合の睡眠不足は「量的な睡眠時間の不足」と不眠症をはじめとする睡眠障害により「質的な睡眠の不足」の両方を含みます。
【不眠症で十分な睡眠をとれない方がゾルピデムを使用する場合】メリットは「服薬により量的および質的な睡眠の不足を補える」点。デメリットは「グリンパティックシステム」の効率が下がる可能性がある点で、服薬なしでぐっすり寝られる人と比べて同じ睡眠時間をとれていても脳の老廃物の排出量が何割か少なくなる可能性がある。
⇨ 結論:全く眠れないより服薬して眠れたほうが認知症リスクは低下する。不眠による睡眠不足の悪影響と服薬による悪影響のバランス問題である。長期的には睡眠薬に頼らずに寝られるよう、眠れない原因や眠るための対策を探して薬剤以外の手の打ち方も検討したい。
今回、不適切に不安を煽る見出しのオンライン記事が公開されたことにより、不眠症状でお悩みの方、すでにこの薬を使用されている方は大きな不安を覚えられたのではないでしょうか。また、私はこの見出しによって注目を受けることはマイケン・ネダーガード教授らの論文内容の本来の価値から外れているように感じ、勿体なく感じます。
結論として今回はキャッチ―な見出しが独り歩きして世間を騒がせた印象ですが、実際に不眠で悩まれている方々、現在睡眠薬を使用されている方々がおられます。不安になると余計に眠れなくなるのが不眠の特徴です。お困りの方々を過剰に脅かすようなことのないよう、ある程度の信頼と影響力のあるメディアがこのような情報を発信される際には専門医の監修を入れるなど慎重なご配慮をご検討いただきたいと願います。